〔A〜L〕


 


  ▽ A ▽  

 Ağrı Dağı アララト山 (トルコ)
トルコの最東端、イランやアルメニアとの国境にある Ağrı 県にそびえる山。
旧約聖書の創世記に登場する、ノアの方舟が漂着したというアララト山のこと。
意味は、「痛みの山、苦しみの山」。行ったきり帰って来ない人も多いことから、別名「命を食う山」とも。クルド人は「ノアの山」と呼ぶ。
標高5000mを超える大アララトと約4000mの小アララトの二つの峰からなり、それにまつわる次の様な伝説が残されている。
   この二つの山は、美しさを競い合う、嫉妬深く仲の悪い姉妹だった。
   ある日、ひときわ激しい喧嘩をし、互いに呪って言ったことには、
   姉『貴女は今後もその緑深く美しい山のままで居られるでしょう。
     その代わり、あらゆる虫や蛇が貴女の体中に住み着くでしょう。』
   妹『貴女は今後も私より大きく目立つ存在で居ることでしょう。
     でもその頭はいつも冷たい雪で覆われ、凍え続けることでしょう。』
そのため今に至るまで、姉はいつも万年雪に覆われ、妹の身体にはトルコ国内でも珍しいほど、数多くの種類の虫や蛇が住んでいるとか。

  ▽ B ▽  

 Balkan バルカン山脈 (ブルガリア)
ブルガリアの中央北寄りを東西に走る険しい山脈。
「バルカン半島」の名の起源で、「山」を意味する。(トルコ語起源)
("Stara Planina" 「古い山」とも呼ばれる。)
ギリシャ神話では、トラキア王ハイモスが姿を変えた山とされている。ハイモスが、妻 Rhodope と自分のことを、傲慢にも最高神ゼウスとその妻ヘラになぞらえたため、ゼウスの怒りを買い、妻共々山に変えられてしまったとか。

 Bistreţ ビストレツ (ルーマニア)
オルテニア地方南部(ブルガリアとの国境近く)の町の名。
ドナウ河にほど近い、水鳥が群れ住む同名の湖の畔にある。

 Bitola ビトラ (マケドニア)
マケドニア南西部にある古都。
首都 Skopje、北部の Kumanovo に続くマケドニア第三の都市。
肥沃な穀倉地帯である Pelagonija 平野の一角に位置し、アドリア海・エーゲ海とヨーロッパ内陸部を結ぶ交通の要衝。そのため古くから交易の一大中心地として栄え、オスマン時代にはマケドニア最大の都市となって12もの諸外国の領事館が置かれたことから「領事の街」とも呼ばれた。また、教会や修道院、モスクの数が多いことでも知られ、現在の名 Bitola も、古名 Monastir も、寺院を意味する言葉に由来する。

 Blagoevgrad ブラゴエフグラート (ブルガリア)
ピリン地方北部の町で、Blagoevgrad 県(≒ピリン地方)の中心都市。
ブルガリア共産党の創設者 Dimitâr Blagoev にちなんで、1950年に名付けられた。(grad:都市。) 改名する前の名は、Gorna Džumaja (ゴルナ・ジュマヤ=上ジュマヤ:トルコ語の "cuma"(ジュマ=金曜)が語源らしいが由来は不明)。マケドニア系の人々は、ブルガリア人政治家の名に由来する新しい名前を好まず、このオスマン時代からの古い名前を、今も使うことが多い模様。

 Bogdan Vodă ボグダン・ヴォダ (ルーマニア)
トランシルヴァニア地方北部の山村の名。
伝統的な文化が色濃く残るトランシルヴァニア地方の中でも特に「フォークロアの宝庫」と呼ばれる Maramureş 県にある。
"Bogdan Vodă" の意味は「ボグダン公」で、モルドヴァ公国(※)の建国者 ボグダン1世の出身地であったことにちなんで、名付けられた。
  ※ルーマニア北部を支配していたハンガリー人を破り、14世紀に建国された
    ルーマニア人の国。ほぼ同時期に建国されたワラキア公国と共に、後の
    ルーマニア王国の基礎となった。

  ▽ C ▽  

 Canaan カナン (イスラエル〜レバノン)
旧約聖書の中で、神がユダヤ人に与えたとされる「約束の地」。「乳と蜜の流れる地」とも謳われる。現在のイスラエル〜レバノンの南部にあたる。

 Crihalma クリハルマ (ルーマニア)
Transilvania 地方南東部の村。
20世紀の前半、ルーマニアから多くの男性が海外へ出稼ぎに行った。この時期、特に Crihalma 周辺の村々では、お祭などで男性が果たしてきた伝統的な役割を女性が肩代わりする様になり、少女達が若い男性のスタイルを模倣して、切れのよい活発な踊りをする様になったらしい。
この地方の人々は、しばしば "Strigături" と呼ばれる即興の詩を叫びながら踊る。その内容は、恋愛やダンス、そして「Crihalma 村の女の子ほど素敵な女の子はいない。」といったものが多い由。

  ▽ D ▽  

 Daron(Taron) ダロン(タロン) (アルメニア(現トルコ))
現在のトルコ領 Muş 付近の旧名。
かつては大アルメニアの領土で、オスマントルコ帝国時代になっても多くのアルメニア人が暮らしていた。しかし、第一次大戦中に始まったアルメニア人大虐殺はこの周辺が最も激しく、その地に住むほとんどのアルメニア人が殺されて残りはトルコ国外に逃れ、留まることができたのは、トルコ人になりすますことに成功した、ごく一部の人々のみだったとか。

 Divčibare ディヴチバレ (セルビア)
セルビア西部の村の名。
豊かな自然と気候に恵まれた、セルビア有数のリゾート地。周囲の山々は年間3〜4ヶ月雪に覆われる為、特にスキー・リゾートとして人気がある。

 Dospat ドスパット (ブルガリア)
Rodopi 地方南西部の町。
目と鼻の先に、景勝地として名高い同名のダム湖があることで知られている。年を経た松林に縁どられ Rodopi の山々に臨む美しい湖は、淡水魚の宝庫でもあり、フィッシング・スポットとしても人気がある由。。

 Dojran ドイラン(湖) (マケドニア〜ギリシャ)
マケドニア南東部(ギリシャとの国境)にある湖(とその湖畔にある町)の名前。
美しい風景と豊かな魚資源に恵まれたマケドニア有数の湖の一つで、訓練した鵜に魚を追い込ませる伝統的な鵜飼い漁で有名。(近年は湖面を共有するギリシャからの過剰取水によって急激に水位が低下し、存亡の危機が叫ばれている。)
湖の名前の由来については、いくつかの伝説が伝えられているという。
その1:『昔、ある村の近くに井戸があって、水を汲んだ後は9つの石で口を
      ふさぐ慣わしになっていた。ある日、Dojrana という美しい少女が水
      汲みにやって来たが、恋人との愛の語らいに夢中になって9つめの
      石を忘れてしまった。すると井戸から水があふれ出て谷を満たし、
      Dojran 湖ができた。』
その2:『トルコのパシャが Dojrana という美しい少女を見初め、自分のテント
      に連れてくる様、兵士に命じた。しかし、力ずくで妻にされるのを
      拒んで彼女が泉に身を投げたところ、そこから渦が沸き起こり、
      Dojran 湖ができた。』
その3:『あるとき、凍って雪に覆われた湖の上を、そうとは知らずにトルコの
      知事一行が横断した。無事に渡りきってからそれに気付いた知事は、
      アッラーの御加護をたたえて祝宴を開いた。宴の後、部下たちに感
      想を訊くと、「Dojuran(トルコ語で”腹一杯”)」と答えたので、その湖を
      Dojran 湖と呼ぶ様になった。』
おあとがよろしいようで・・・。

 Dračevo ドラチェヴォ (マケドニア)
マケドニアの首都スコピエ近郊の村。
伝統的な民族舞踊や音楽が盛んなことで有名。Atanas 氏の故郷でもある。

 Drenica(Dreni) ドレニッツァ(ドレニ) (コソヴォ)
コソヴォの中央部にある地域名。(Srbica から Glogovac の辺り。)
コソヴォの中でも最貧地域で、住民のほとんどがアルバニア系。アルバニア系の武装組織コソヴォ解放軍(KLA)が結成された場所で、ここからコソヴォ紛争が始まった。

  ▽ E ▽  

 Edirne エディルネ (トルコ)
ヨーロッパ・トルコの、ギリシャ・ブルガリアとの国境に位置する町(県)。
その昔、オスマン帝国の首都だったこともある。
マケドニア語では Edrene、ブルガリア語では Odrin、英語では、ローマ帝国時代の名前に由来する Adrianople。

 Eilat エイラット (イスラエル)
紅海に面した、イスラエル最南端の町。
ヨルダンとエジプトに接する国境の町。珊瑚礁の海に沿ってビーチがのび、ホテルが建ち並ぶ国際的なマリン・リゾートだが、町の外には荒涼とした岩山と沙漠だけが果てしなく広がる。

  ▽ G ▽  

 Galičnik ガリチュニク (マケドニア)
アルバニアとの国境付近にある村の名。
マケドニア西部山岳地方の貧しい村では出稼ぎに行く人が多く、年に一度聖ペテロの日(7/12)に合わせて皆が帰郷したときに、合同で結婚式を行ったという。中でも Galičnik 村の伝統的な結婚式が有名で、今では重要な観光資源の一つ。

 Gamla ガムラ (イスラエル)
イスラエル北部のゴラン高原で紀元前から栄えた古代ユダヤの都市の遺跡。
A.D.1世紀にローマ帝国に反乱を起こして滅亡し、イスラエル建国後に発掘された。滅亡の際には9000人にも上る市民が殺戮されたとも言われ、異民族の支配に対する、ユダヤ人の抵抗のシンボルの一つ。
アラビア語の Gamal(="camel"/ラクダ)が語源で、幅の狭い尾根が緩やかに起伏を繰り返す周辺の地形が、ラクダの背に似ているところから名付けられたという。

 Goce Delčev ゴツェ・デルチェフ (ブルガリア)
ピリン地方南東部、ピリン山地の東麓にある町。
マケドニアの英雄 Goce Delčev ちなんで名付けられた。

 Gostivar ゴスティヴァル (マケドニア)
マケドニア北西部、Vardar 川の源流に程近い町。
アルバニアやセルビア(コソヴォ)との国境に近いこの地域は、昔からアルバニア系住民の多いことで知られていたが、ユーゴ内戦等で情勢の悪化したコソヴォから、さらにアルバニア系の難民が流入。1990年代半ばには、アルバニア系がマケドニア系を上回り、人口のほぼ半数を占めるに至った。2001年には、アルバニア系武装テロ勢力とマケドニア治安部隊との間で武力衝突が発生。NATOの介入で停戦が成立したものの、その後も治安が回復したとは言えず、日本外務省の渡航延期勧告が今も出されたまま。

  ▽ K ▽  

 Karmiel カルミエル (イスラエル)
ガリラヤ地方(イスラエル北部)へのユダヤ人入植活動の一環として、1964年に建設された近代的な計画都市。ガリラヤ地方の経済・文化の中心。
毎年夏に開催される "Karmiel Dance Festival" が有名。イスラエルのフォーク・ダンスをメインに、世界中から様々なダンス・グループが集り、3日間で7〜80ものプログラムが繰り広げられる。

 Kruševo クルシェヴォ (マケドニア)
マケドニア南西部の町。Vlah が多い町としても知られている。
1903年夏、「マケドニア人のためのマケドニア」をスローガンに掲げた「内部マケドニア革命組織(VMRO)」が各地から Komita を集めて武装蜂起し(※)、この町で、マケドニア人初の「Kruševo 共和国」宣言が出された。
しかしわずか10日後、オスマントルコ帝国の大軍に鎮圧され、Kruševo を始め、反乱に関わった周辺の村々も焼き払われた。最後の激戦の地、Kruševo 近郊の Mečkin Kamen(熊の岩)には、それを記念するモニュメントがそびえる。
 ※ 聖イリヤ(エリヤ)の日に決起したため、「イリンデン蜂起」と呼ばれる。

  ▽ L ▽  

 Leninakan レニナカン (アルメニア)
アルメニア西部の街。現在の Gyumri(Kumayri とも)。
帝政ロシア時代には皇帝の名にちなんだ Aleksandropol という名で呼ばれていたが、レーニンの死後、彼の名にちなんで Leninakan と改名。さらにソビエト連邦崩壊後(1991年)、19世紀以前の古い地名 Gyumri に戻された。
トルコとの国境近くにある工業都市で、首都 Yerevan に次ぐアルメニア第二の都市。20世紀初頭には繰り返しトルコ軍の侵攻を受け、また1926年と1988年には大地震の直撃に遭い、多くの命が失われた。
Tom Bozigian 氏の父親は、この Leninakan からアメリカに移住して来られた由。

 Leros レロス島 (ギリシャ)
エーゲ海南東部、トルコ南西岸にほど近い Dodecanese 諸島の島。
ホメロスの時代以前からの古い歴史を持ち、現在でも、伝統的な民族楽器を使った演奏や踊りを見ることができる由。
  "Dodecanese" ←「12の島」(主な島が12個あることから)
  "Leros" ←「平坦な、滑らかな」(わりと平地が多いことから)

 Lom ロム (ブルガリア)
Sever 地方北西部の町。
ルーマニアとの国境を流れるドナウ河に面した港町で、Lom 川がドナウ河に流れ込む合流点に位置する。定住ロマが多い。
"Lom" の名は、ローマ帝国時代の砦の名 "almus" に由来。
(almus : ラテン語で「肥沃な」だが?)