〔A〜L〕


 


  ▽ A ▽  

 Aromân / Vlah
バルカン各地の山岳部には、古代ローマ系の Vlah と呼ばれる先住民族(自称 "Aromân" )が古くから暮らしてきた。ルーマニア語系の言語を持つものの、周辺民族との同化傾向が強く、その数を激減させているらしい。1920年代、ルーマニア政府が彼らに居住地を提供し、多くの人々がルーマニア(主に Dobrogea 地方)へと移住した。(出身地を冠して、"Macedo-"(マケドニア系)、"Megleno-"(ブルガリア系)、"Hisro-"(ギリシャ系)と呼び分けられることも。)
Theodor 氏は、ルーマニア国内に移住してきた古代ローマ系の人々の踊りは "Aromân" 、国外のルーマニア系の人々の踊りは "Vlah" 、と使い分けている様に思われる。
スラヴ系の国々の曲名に出てくる "Vlaško" は「 Vlah の」という意味だが、ブルガリアやセルビアではルーマニア系の人々全般も Vlah と呼ぶため、自国内(主にルーマニアとの国境付近)に住むルーマニア人の踊りを指すことが多い模様。

 Assyrian
アッシリア人とは、古代アッシリア帝国が滅亡した紀元前7世紀後も帝国の故地に住み続け、アッシリア帝国の子孫を名乗る民族のこと。現代アッシリア語を話し、キリスト教徒(諸派)。
20世紀初頭、多くの人々が周辺諸国や欧米に離散したが、20世紀後半に民族団結の動きが高まり、世界的な同盟組織が発足。各地で伝統文化の復興や人権保護等の活動が行われている。(最終目的は、かつての首都ニネヴェを中心とした自治国家樹立。)
アッシリアの旗は、国を持たないアッシリア人の団結のシンボル。中央の円と星形は太陽とその恵みを受ける大地、上部の紋章はアッシリアの守護神アッシュルを表す。中央から四隅へ伸びる波打つストライプは、アッシリア帝国の故地を流れる三つの大河(チグリス、ユーフラテス、ザワ)を表すと共に、世界各地に離散したアッシリア人たちを父祖の地へと導く道を象徴する。
ちなみに、2000年は「アッシリア暦」6750年。

 Azerbaijan
カフカス地方(英語では「コーカサス」)の東端、カスピ海に面した国。
1991年、旧ソヴィエト連邦から独立。カスピ海沿岸のバクー油田で石油が産出するため、カフカス三国の中では最も豊かな国といえる。
住民のほとんどはテュルク系のアゼルバイジャン人(アゼリー人)で、言語もテュルク語系のアゼルバイジャン語。トルコ語の一方言と言ってもよい程よく似ていて、お互いに何となく意思疎通できる由。宗教は、カフカス三国の中では唯一、イスラム教が圧倒的多数を占める。(アルメニアとグルジアはキリスト教。)
文化的にはイランとトルコの影響が非常に大きく、また逆に、イラン北西部のアゼルバイジャン州やトルコ北東部のカルス地方には古くから多くのアゼルバイジャン人が住んでいたため、本国と同様の踊りなども見られる模様。

  ▽ B ▽  

 Banat
ルーマニア南西部の地方名。
セルビア北東部(Vojvodina 自治州)の Banat 地方と共に、長くオーストリア=ハンガリー帝国の支配下にあり、第一次大戦後になってルーマニアに割譲された。そのため、Transilvania 地方と並んでハンガリー人やドイツ人が多く、古くからルーマニアだった地域(Muntenia、Oltenia など)とは異なる文化を持っている模様。

 Baranja
クロアチア北東部からハンガリー南部にまたがる地方名。
クロアチア側の Baranja 地方は、Drava 川の北側、ハンガリー及びセルビア・モンテネグロ(Vojvodina 自治州)との国境に囲まれた三角形の領域を指す。
ハンガリー側の Baranja(Baranya)地方(県)には、15〜16世紀にクロアチアやボスニアから、オスマン・トルコの支配を逃れた数多くのクロアチア人が移住した。
その中心地 Peč(Pécs)では毎年数度のお祭りが開かれ、伝統的な踊りや歌などが披露される由。ワインの産地としても有名で、毎年9月にヨーロッパ各地から合唱団が集まり、ワインの歌フェスティバルが開かれる。2004年8月には、第3回ワールドフォークロリアーダ(世界民族文化祭)が開催される予定。

 Basarabia / Moldova
"Basarabia" とは、ルーマニア語で、現モルドヴァ共和国(旧ソ連邦内モルダヴィア共和国)の領土とほぼ一致する地方を指す名称。
歴史的・文化的にルーマニアとの繋がりが非常に強く、ルーマニア系のモルドヴァ人が人口の約3分の2を占める。(残りはウクライナ人、ロシア人など。)ソ連邦からの独立後、ルーマニアとの統合を国民投票にかけたが、90%が独立を支持したため否決。現在はロシア寄りの方向に進んでいる模様。
ちなみに "Basarabia" は、公国時代の支配者 Basarab 公の名に由来する地方名で、ルーマニア以外で一般的に使われている "Bessarabia" は、ロシア語での呼び名から。

 Bosna
ボスニア・ヘルツェゴヴィナ(Bosna i Hercegovina)北部の地方名。
この地方を流れる Bosna(清い)川の名に由来。(Bosnia は英語名。)
ボスニア・ヘルツェゴヴィナの民族構成は、ボスニア人(イスラム教)、セルビア人(セルビア正教)、クロアチア人(カトリック)など。1990年代の内戦の結果、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ連邦(ボスニア人&クロアチア人)、セルビア人共和国(セルビア人)の2つの地域国家で構成されるようになった。

 Bucovina
ルーマニア Moldova 地方北部の地域名。(≒Suceava県)
歴史的には、現在ウクライナ領の北 Bucovina も含む。
18世紀末から20世紀初頭に渡り、オーストリア・ハンガリー帝国に支配されていたため、その文化的影響を強く受けている。踊りの面でも、カップル曲の比率が高いなど Moldova の他の地方とは異なる特色を持つ。

  ▽ C ▽  

 Cherkes
Karachay-Cherkessia 共和国(Russia 連邦内北コーカサス地方)周辺に住んでいた人々のこと。イスラム教徒で、古くから軍人、傭兵として中東諸国で活躍し、勇猛な民族とされていた。
ロシア帝国の圧力や周辺(チェチェンなど)の紛争を逃れて数多くの人々が中東諸国に移民し、イスラエル国内にも北部のゴラン高原を中心に約3000人が居住。

  ▽ D ▽  

 Dobrogea / Dobrudža
ルーマニアの Dobrogea と、ブルガリアの Dobrudža は、元は一つの地方。
黒海沿岸で交易を行うギリシャ商人の殖民都市から、ローマ、ブルガリア、オスマン・トルコ等の支配を経た後、19世紀末になって、北部(現在の Dobrogea )はルーマニアに、南部(現在の Dobrudža )はブルガリアに分割譲渡された。その後、南部もルーマニア領になった時期があったが、第二次世界大戦以降は、現在の国境線を維持している。
Dobrogea 地方は、その複雑な歴史を物語る様に、トルコ人、タタール人(モンゴル系)、ブルガリア人、ロマ、ロシア人等の方が、いわゆるルーマニア人よりも多く、「民族の博物館」と呼ばれている。1920年代以降にバルカン各地から移住してきた Aromân も加わり、ルーマニアの他の地方とは一味違った、多様な文化が伝えられている模様。
Dobrudža 地方も同様にトルコ人などの勢力が強く、木のスプーンを鳴らしながら踊るなど、独特のスタイルの踊りが見うけられる。

  ▽ E ▽  

 Egejska Makedonija
現在のギリシャ北部。
主に Makedonija 人が暮らしていたが、1912〜13年のバルカン戦争の結果、ギリシャの領土となった。その後、1946〜49年のギリシャ内戦の際に多くの Makedonija 人が国外に追放され、帰国を許されぬまま現在に至る。(2003年6月、今後マケドニア人の帰国を許可していく方針をギリシャ政府が発表。)

  ▽ G ▽  

 Georgia グルジア
黒海の東岸、カフカス(コーカサス)地方にある国
最古のキリスト教国のひとつで、言語は、どの語族にも属さない孤立言語とも言われるグルジア語。日本で一般的な「グルジア」はロシア語由来で、国連正式名称(英語)は Gerogia(ジョージア)、グルジア人自身は Sakartvelo(サカルトヴェロ)と呼ぶ。(グルジア文字では " საქართველო "。)
度重なる異民族の侵略の中、強い独立心と独自の文化を保ち続けた誇り高き騎馬民族。そんな彼らの踊りの中でも特に印象的なのは、柔らかな革のブーツを履き、足指の甲で立って踊る、男性の踊りだろうか。
彼らは音楽と踊り好きの民族としても知られ、伝統的な結婚式では、独特の合唱と踊りで彩られた宴会が、一週間も続くらしい。

 Gradišće
現在のオーストリア南東部(Styria〜Burgenland 県付近を指す模様)。
15〜16世紀、主にクロアチア中〜西部から、オスマントルコ帝国の支配を逃れたクロアチア人が移住した。

 Greater Armenia 大アルメニア
広大な王国だった頃のアルメニア/その領域。
紀元前1世紀頃には、地中海から黒海、カスピ海に至る最大版図を誇った。
その後王国は衰退したものの、多くのアルメニア人が、かつてアルメニアの領土だったトルコ東部に住み続けていた。(いわゆる「アルメニアの踊り」の中には、この地方のアルメニア人の踊りも数多く含まれる。)
しかし、オスマントルコ帝国によるアルメニア人大虐殺のため、1915-1920年だけで150万人以上のアルメニア人が殺されたと言われている。

  ▽ I ▽  

 Istra
クロアチア北西部の地方名。
アドリア海北部に張り出したイストラ半島のほぼ全体を占め、歴史的にイタリアとの関係が深い。(半島の付け根部分は、イタリアとスロヴェニア領。)

  ▽ K ▽  

 Korčula
アドリア海に浮かぶ、クロアチア南部の島。
古くから交易で栄え、今も中世の面影を残す港町 Korčula がある。イタリア、フランス、スペイン等の影響が色濃い。

 Kurd / Kurdistan
クルド人は、中近東の山岳地帯に古くから居住する山岳遊牧民族のことで、その居住地がクルディスタン。「祖国無き最大の民」「世界最大の少数民族」と呼ばれ、その総数は2000万人とも3000万人とも言われるが、正確な人口は不明。
紀元前の昔から勇猛な民族として定評があるものの、居住地は現在6カ国に分断され、各国で独立(自治拡大)運動が続いている。しかし、内部の権力抗争等も相まって、今なお解決の兆しは見えていない。
クルド人の起源について、幾つか伝わっている伝説の一つに曰く、
  「あるときソロモン王が魔神に、
   『ヨーロッパから、美しい乙女を500人連れてこい。』
   と命じた。しかし、言われた通りに500人の乙女を連れて戻ると、王は既に
   亡くなっていた。そこで、魔神は乙女たちを全て自分のものにし、その間に
   生まれた子供たちの子孫が、クルド人になった。」
クルド人の多くはイスラム教徒だが、中には2000年来のユダヤ教徒もいて、1948年のイスラエル建国時にイスラエルに移り住んだ。彼らは、今でも自分たちはユダヤ人ではなくクルド人だと考え、独自の伝統文化を守っているらしい。イスラエルのティーチャーが紹介している Kurdishの 踊りは、そんな人々の音楽や踊りに触発されたものかと思われる。

  ▽ L ▽  

 Laz
黒海南東岸、トルコの Trabzon からグルジア南部にかけての地域に古くから暮らす、グルジア系の少数民族。
ギリシャ神話のアルゴー船と金毛羊皮の話(※)に登場するコルキス王国の末裔、という彼らの歌や踊りは、周辺の民族に少なからぬ影響を与えてきたらしい。
  ※映画や演劇の「王女メディア」で有名。